ブルゴーニュのグランクリュの畑名の由来〜コート・ド・ボーヌ編
コート・ド・ニュイ編に引き続き、コート・ド・ボーヌのグランクリュ畑の名前の由来です。
◆Cortonの仲間たち
Corton
8世紀のオトン皇帝に由来します。
Corton Charlemagne
ナポレオンやジャンヌ・ダルクと並び称される英雄で、政治・経済、文化とあらゆる方面で活躍し、欧州の礎を築いたカール大帝(フランス読みではシャルルマーニュ)。
赤ワイン好きであった彼はコルトンの地に畑を持っていました。彼の自慢は口元の立派な白いひげ。ただ、赤ワインを飲むたびに白いひげが赤く染まってしまいます。ある日、この赤く染まったひげを見た妻が白ワインを勧めました。コルトン・シャルルマーニュはこうして誕生したと言われています。
Montrachet
この地よりもたらされる圧倒的に凜としたミネラル感は13世紀ころまで石切場として存在していたことにつながるように思います。このように、この畑ももともとは耕作に向いておらず、剥き出しの禿山(Mont Rachet)であったことに由来しています。
モンラッシェの周りにモンラッシェと名前を掲げるグラン・クリュの畑が4つあります。
Chevalier Montrachet(騎士)
Batard Montrachet(私生児)
Bienvenue Batard Montrachet(ようこそ!)
Criot Batard Montrachet(泣き叫ぶ私生児)
そして、この四つの畑にはこんな逸話が残っています。
時は12世紀、第二次十字軍が派遣された頃…。
この地の領主が(現在のピュセルの)畑の前で美しく可憐な乙女(Pucelle)に出会いました。領主は乙女のあまりの美しさに心を奪われ、一瞬にして恋に落ちます。妻子のある領主でしたが関係を持つこととなり、乙女は私生児(Batard)を身ごもります。
しばらくして、騎士(Chevalier)となっていた領主の一人息子が戦死してしまい、この私生児に家督を継がせることにしました。
悲しみに暮れていた領民たちは再び領主の跡継ぎができたことを喜び、
「ビアンヴニュ!(Bienvenue:ようこそ!)」と声をあげて迎えたそうです。一方、私生児(Batard)はまだ幼いため状況が理解できず、泣き(Criot)続けていたといいます。
ちなみにピュセル(Pucelle)は乙女や処女という意味で、畑としてはピュリニー・モンラッシェのプルミエ・クリュの中でトップの地位にいます。
畑の名前の由来の話からはそれますが、モンラッシェとシュヴァリエ・モンラッシェ、バタール・モンラッシェはいわゆるテロワールを最高に表現していると思うんです。で、テロワールについてちょっと思うことを書いてみました。
ワインのテロワールについて思うこと〜神に選ばれたブドウ畑、モンラッシェ
この考え方がフランスワインのテロワールを理解する第一歩だと思います。