ある意味、唯一無二の存在と言えるアルザスワイン
繊細な酸と溌剌としたミネラル、そして、しっかりとした果実味の凝縮感。この、ワインにとって最も重要な三つの要素がここまでバランス良く主張するワイン産地を他に知りません。とってもピュアで鮮烈ながら、北の産地らしからぬ力強さを持ち合わせる一方で、どこか寂しげな表情を見せることもあります。
アルザスは地理的にライン川の水運に恵まれ、さらにヴォージュ山脈とシュヴァルツヴァルトを越える街道の交差するところにあり、この利便性ゆえに文化的、経済的に大きく発展してきました。ただ、この地の利を近隣諸国が見逃すわけはなく、幾度となく領有権争いに巻き込まれることになります。ドーテ『最後の授業』の有名な一節、《今日がフランス語での最後の授業です》にもあるようにアルザス地方はある時はドイツ、ある時はフランスと歴史に翻弄された続けた地方でした。
アルザスワインの一本芯の通った強さ、特有の個性をアルザスの歴史を紐解くことで見えてこないかと考えることがあります。
紀元前58年からのカエサルのガリア遠征に始まるアルザスワインの歴史。ブドウ栽培はこの時代にローマ人よってもたらされ、しばらくして人々を元気にする飲み物“ワイン”が評判になり、ブドウ栽培地拡大に拍車がかかりました。その後、4世紀から6世紀にかけてのゲルマン民族の大移動によって現在ドイツと呼ばれる国に属することになります。
1648年、三十年戦争の終結とともに初めてアルザスがフランス領となります。とはいえ、パリの都からみればアルザスは全くの辺境です。この時代も文化的にはフランスの影響下にあったとは言い難く、現在のドイツとの関係を強く持った中で独自の文化と言語を継承していくことになります。この三十年戦争によってアルザスが壊滅状態になる17世紀までアルザスワインは最盛期をむかえ、大いなる名声を享受していました。
その後、ビスマルクのプロイセン(ドイツ)にナポレオン三世が敗れ、再びドイツ領になります。ドーテの『最後の授業』はこの時代の話ですが、ここに出てくるフランス語も実はアルザシアンにとっては外国語、彼らの言葉はアルザス語という独自のものでした。さらにアルザスに至っては20世紀になってもなお行ったり来たりの歴史を繰り返すのですが、その中でも変わらず“アルザス”という文化を継承しつつワイン造りが行われ続けます。
第一次世界大戦終了後、アルザスはフランス領となります。この時代になってようやくアルザスに本格的にフランス語が導入され、アルザス文化の駆逐が始まります。さらに第二次世界大戦中はヒトラーのドイツにアッという間に占領され、アルザスからフランス的なものが徹底的に排斥され、今度は純ドイツ化が図られます。
ここまで蹂躙された歴史を持ちながら現在もなおアルザス語を話す人々が生き続けており、また現フランス政府はアルザス語の出版物の発行を認めています。フランスのワイン産地の中で、ここまで歴史に翻弄されつつも独自の文化を守り続けた地方は他にありません。このように荒廃と試練の数百年の後、ブドウ畑の復興が始まります。アルザスのブドウ栽培者たちはかつての名声を取り戻すべく畑に向き合うのでした。
ワインの味わいは気候や土壌によるところが大きいといえます。しかし、このあまりにも力強く個性的なアルザスワインはアルザスを守り通し文化を継承し続けたアルザシアンの魂のワインのように思えます。